無所属の東村山市議会議員・佐藤まさたかです。市議としての活動、考え、こぼれ話、余談、雑感…。実感ある発信を続けていきたいと思っています。
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泊原発3号機が点検に入るため、今日5月5日をもって全国50基が全て停止、と報じられています。

国民投票、都民投票に関連したことは書いたりツイートしたりしてきましたが、原発問題自体へのコメントやアクションは表立ってあまりしてきませんでした。
なぜなら…、「いつの間にやら増えていた~」と清志郎さんが唄った通り、確かにいつの間にやらだったとしても、気づかず、考えずに来た自分自身がいます。それを考えると、デモに参加して「反対!」とシュプレヒコールを上げる気にもなれず。今日も「反原発の集会とデモ。芝公園23号地にて13時から。現地で会いたいな」という知人からのメールをスルーしたりしているわけです。

しかし、事故がもたらした取り返しのつかない結果を見たとき、日本経済の発展とか地元経済の振興とか、ゼニカネの話で語るようなことではない、というのが私の中にずっと流れる思いです。

そういう意味で、ドイツが脱原発を改めて決めた理由「人としての倫理にもとる」が、もっともしっくり来ています。

今頃ですが、青木理さんのこんな発言を見つけました。
アサヒニュースター 2011年12月15日放送分 「青木理の眼」 

今日はこどもの日。
次の世代を幸せにする、なんて大きなことは言えなくとも、少なくとも次の世代に不幸のつけ回しはしない、ということくらい、心に決めたい。そう思う夜です。
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【2012/05/05 23:59】 | 原発・震災
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日野市議の菅原直志さんから声をかけていただき、菅原さん&同じく日野市議の古池はつみさんとともに、急きょ10日(金)の昼に発って12日(日)未明帰りで訪ねた気仙沼。
かなりの強行軍でしたが、思い切って行ってよかったと思っています。
ちょっと遅くなりましたが、写真を中心にアップし、記録しておこうと思います。

帰りに立ち寄った復興屋台村
復興屋台村


鹿折地区に打ち上げられたままの大きな船
鹿折唐桑バス停前の船

気仙沼港からフェリーで大島へ
気仙沼~大島行フェリー

水没したままの桟橋も
水没したままの桟橋

魚市場は復旧していましたが、周辺は更地でした
魚市場

カモメがお出迎え


「11か月はあっという間だった」と大島復興チーム「おばか隊」隊長の村上広志さんとともに、震災発生時から今日までの想像を絶するお話を詳細にしてくださった菅原博信気仙沼市議。ありがとうございました。

菅原気仙沼市議からお話を伺う
「国が巨額を投じて島の周囲に高さ11.7mの防波堤を巡らすと言ってきたが、絶対に造らせない。防波堤で沖が見えず、波がそれを超える高さだった時はに、また同じことが起きるから。そんな金の使い方をするより、停電になっても点灯し続ける太陽光発電による誘導街路灯や、高台への避難路を整備して、各自の判断で命を守れるようにすることの方がよほど大切だ。これは津波に限ったことではない」とおっしゃっていました。

標高235mの亀山へ上がると、気仙沼湾から太平洋の大海原、唐桑半島まで360度の大パノラマが広がりました。
見渡せる沿岸部の平地は、例外なく波にのまれ更地になっていることがよくわかり、言葉を失いました。
亀山山頂から見た大島の市街地
亀山山頂から見た唐桑半島 小鯖港

気仙沼湾が文字通り火の海と化した光景を私たちはテレビで観ましたが、炎は海面からゆっくり駆け上がり、亀山の山頂をなめるように飲み込み、麓の街場へ迫ったのだそうです。多くの男性や若い人が本土から戻れない中、残された人たちで不眠不休で延焼を食い止めたのだそうです。どんなにか恐ろしかったことでしょう。
海に広がった火は亀山(235m)を駆け上がり市街地へ向かった
風光明媚な龍舞崎
亀山山頂から見た気仙沼湾

津波で壊滅的な被害を受けた海岸部。
破壊され流されたものは、なんと24品目に分類され、積まれていました。
トラクター、フォークリフト等
自動車
家電も品目ごとに
うず高く積まれた木類
缶もガラスも生きビンもきっちりと分別
後処理がスムーズにいくようにと、島の方たちとボランティアの方たちが気の遠くなるような作業を重ねられたのだそうで、こんなところは他にないだろうとのこと。
まさに全て生活の証であって、「がれき」と私たちが一言で言ってしまっていることが本当に申し訳なく感じました。

この日は震災からちょうど11か月ということもあったようですが、約100名の方が全国からボランティアとして来られていて、3月11日に予定している鎮魂の花火の会場となる小田浜をみんなで清掃しました。
3.11鎮魂の花火に向けて砂浜清掃
菅原日野市議と古池日野市議
全国砂浜10選の第2位「小田乃浜」
高さ20mはあろう沖の大岩を津波が超えてきたそうです

14時46分。作業の手を止め、猛烈な北風が吹きつける中、沖に向かって全員で黙祷を捧げました。
14時46分にボタンティア約100名で黙祷

その後、私たちは日野の社会福祉協議会を通じて菅原直志日野市議が預かってきた新品の一輪車12台を、大島小学校へ届け、教頭先生にお渡しをしました。
大島小学校に一輪車12台を届けました

大島小学校の体育館では、翌日に控えたイベントの準備が進んでいました。
復興イベント
新潟柏崎の日本海太鼓と島の太鼓の競演

島のみなさんが一日も早く元の暮らしを取り戻せるよう、心から祈りつつ、17時半のフェリーで本土へ戻り、一路帰京しました。
帰りのフェリー




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【2012/02/21 18:16】 | 原発・震災
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視察・静岡編や一昨日の議会基本条例特別委の報告もアップしなくちゃいけないんですが、その前に。
今朝、下記のペーパーが各議員のボックスに配布されていました。
本日付で速やかに市HPにアップされるようですが、私自身の記録としても掲載をしておきたいと思います。

市立第一~第八保育園

5児童館と児童クラブ

児童クラブ

市が除染対象の基準値とする0.19を超えたのは、秋津児童館、久米川東児童クラブの2施設5地点。これについては、除染前と後の数値が掲載されていますので以下再掲します。


秋津児童館… 0.215⇒0.170
久米川東児童クラブ…建物裏側西の雨水枡内部 0.203⇒0.11 / 入口右の雨水枡内部 0.336⇒0.09 / 建物北東側中央の雨水枡内部 0.414⇒0.10 / 建物南西の雨水枡内部 0.492⇒0.11


【2011/10/26 10:14】 | 原発・震災
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市内小中学校で高い放射線行が測定された件について、3時から市長会見が行われ、既にNHKTBSでは報じられたようです。

そして今しがた、「小中学校U字溝等汚泥除去後の放射線量について」というペーパーが配布されましたので、再びスキャンアップさせていただきます。
ひとつ前の記事で基準値(0.19μSV)を超えていた箇所について、除染後の数値が記されています。



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該当箇所を列挙します。 ※除染前⇒除染後 

化成小…なし
回田小…なし
大岱小…体育館横 0.440⇒0.164 / 正門雨水枡 0.331⇒0.105
秋津小…なし
八坂小…中校舎プール側出入口の雨水管下 0.467⇒0.177
萩山小…校庭西側1 0.412⇒0.086 / 校庭西側2 0.352⇒0.083

南台小…なし
久米川小…校庭西側南校舎脇 0.500⇒0.116 / 校庭西側北校舎脇 0.287⇒0.087
東萩山小…給食室裏 0.573⇒0.112(U字溝上部) 2.153⇒0.102(U字溝内部)

青葉小…なし
北山小…なし
秋津東小…体育館北側と校庭の間 0.240⇒0.068
野火止小…なし
久米川東小…なし
富士見小…なし
第一中…なし
第二中…なし
第三中…なし
第四中…なし
第五中…北通用門 0.376⇒0.103 / 体育館西側集水桝 0.204⇒0.110
第六中…なし
第七中…正門先脇 0.227⇒0.110



大変迅速な対応だと思います。

【2011/10/19 17:46】 | 原発・震災
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間もなく3時から、「市内小中学校敷地内放射線量測定結果とその対応についての市長記者会見」が開かれます。
それに伴い今しがた各議員に配布されたペーパーをスキャンアップします。

足立区の小学校で3.99μSVというニュースを受け、東村山市として緊急に昨日計測したことで判明したものです。

明日の朝刊各紙で報じられることと思います。
また、東萩山小でNHKの取材班に会い、今夕のニュースで放映すると聞きました、という情報を届けてくださった方もあります。ありがとうございました。
東村山市は基準値を0.19μSVとしたようで、東萩山小を筆頭に高い線量が確認された対象箇所の除染作業を緊急に進めています。
続報が入り次第順次お伝えしていきます。


表紙

化成小・回田小・大岱小・秋津小・八坂小・萩山小・南台小

久米川小・東萩山小・青葉小・北山賞・秋津東小・野火止小・久米川東小

富士見小&中学校7校


【2011/10/19 15:02】 | 原発・震災
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6月の南相馬に続き、先週金曜日(22日)の深夜から土曜日にかけて、石巻市雄勝町水浜というところへ伺いました。
これは、会派を組んでいる奥谷浩一議員から声をかけていただいたもので、民主党として継続的に取り組んでおられる被災地支援活動に、奥谷さんの知人ということで、大塚恵美子議員とともに参加させていただきました。

金曜日の23時に衆議院議員会館をバス2台で出発。一路東北道をひた走り、時間調整も含めて9時間。現地に8時過ぎに到着しました。

石巻市の中心地から車で数十分離れたこの地は足の便が悪く、復旧がかなり遅れているとは聞いていましたが、想像以上の状況でした。

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8つの班に分かれて作業にあたり、私たちの班は、昨年作ったばかりだという個人の方の水産加工場の内部にたまった泥やガラス片を片づけ、基礎以外の部分(断熱材や合板など)をバールなどを使ってきれいにはがす、という作業にあたりました。
3時間半ほどで、依頼のあった内容はほぼ終了。

昼食後は隣の班の作業に合流しましたが、あと1時間というところで突如足元に響く地鳴り。地震でした。
20mほどの高さまで全員で退避。
かなりの高さなのですが、震災時にはさらに上までどす黒い波が襲い、130戸あった家屋のうち大半を呑み込んでいった、と住民の方が話してくださいました。

私たちが6時間弱でできたことは、ほんの少しのこと。
でも、だからこそ、こうした支援活動を継続していくことが本当に必要だと感じます。

また、南相馬の時も強く感じたのは、「平成の大合併」が震災復興の足かせになっているのではないか、ということです。
南相馬市も石巻市も数年前に合併したわけですが、それまでのそれぞれの歴史、つながり、蓄積が、「無駄を省く」という題目によって軽んじられ、地元の自治体の皆さんは懸命にことにあたっておられるけれども、結果として中心地域以外への手当ては遅れ気味となり、さらに小さな集落などからは人々が去り、軽んじられていく、という悪循環を強く感じました。

今回は23時間で往復してくるという強行軍で、体力的には大変厳しく、また、地元の方たちと話をするような機会は全く持てませんでした。
すぐにまた行こう、というには遠いのですが、縁あって初めて伺った水浜の皆さんが、またあの静かな浜で牡蠣やワカメの養殖に精を出せる日を祈らずにはおれませんし、ぜひまた伺ってみたいと思っています。






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【2011/07/25 17:27】 | 原発・震災
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一昨日(7月23日・土)は私自身2度目の被災地支援活動として、石巻市雄勝町へ行ってきました。
その報告をする前に、先月伺った南相馬市の報告【後編】をアップしていなかったことに気づき、遅ればせながらですが、写真を中心に書き残しておこうと思います。

6月18日(金)~20(月)の3日間の2日目は、朝9時に間に合うように南相馬市ボランティアセンターへ向かいました。
初めての人が並ぶ列に並んで登録を済ませ、説明会場、マッチング会場へ。
はじめは泥出し作業に手をあげたのですが、写真の洗浄作業を行っている3会場のうち、最も放射線量が高い「馬事公苑」での作業に人が足りないということで移動。
リーダーの方をはじめ9名の班になり、車2台で現地へ向かいました。

作業中の写真撮影は一切できない決まりなので現場の様子はお見せできませんが、津波に流された物の中から自衛隊員らによって拾い上げられた「スナップ写真」の束が集められているので、それを手に取り、洗浄用のウエットティッシュで1枚1枚汚れを拭き取り、洗濯物を乾かすピンチハンガーなどで乾かし、ポケットファイルに収め、すぐに誰のものかわかるように表表紙と裏表紙に1枚ずつ写真を貼り付ける…という作業を一日続けました。

赤ちゃんの笑顔、女子高校生が友達とはしゃぐ姿、ご夫婦での信州を旅、子どもの頃に写したと思しき時代を感じさせるスナップ…。普通の人たちの普通の毎日が写っているのですが、この写真の赤ちゃんは、女の子は、お母さんは、お父さんは、おばあちゃんは、どこかで無事におられるのだろうか?
1枚1枚、そればかりを考えながら、できるだけ丁寧に、心を込めて拭きました。

馬事公苑の先には検問所が設けられていて、線量の高い日高地区には入れない様子でした。
公苑内には自衛隊が駐屯しており、暑い中を連日作業にあたる隊員が大勢行き来をしていました。


3日目(20日)は、今回のメインである、真野小学校での朗読劇のお手伝い。
俳優であり声優でもある武藤与志則さんご夫妻とともに、校舎が津波被害を受けたために同校が仮校舎としている万葉ふれあいセンター向かいました。

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この日は、3・4時間目の授業として、朗読劇をみんなでつくる、ということになっていました。
武藤さんが前回訪ねた際に、校長先生と相談をして準備をしていました。東京から照明や音響の道具を車に積んで行ったのはこのためでした。

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武藤さん夫妻と3人で準備をし終えたところに、子どもたちがやってきました。照明が醸し出す独特の感じに歓声が上がります。

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クマさんの朗読が始まりました。

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4時間目は、子どもたちが照明係や音響係に挑戦しました。

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最後に、5・6年生で構成する「万葉太鼓」を披露してくれました。

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初めて聞く太鼓でしたが、子どもたちの太鼓とは思えないほどのすごい迫力に圧倒され、自然と涙が出ました。
太鼓の大半が津波で流され、家を流されたために転校を余儀なくされた子たちも少なくないのでメンバーも半減しているとのこと。
でも、そんなことを微塵も感じさせない、子どもたちの笑顔でした。

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校長先生曰く、6年生は修学旅行をあきらめていたのですが、震災発生後に支援をしてくださっている北区立王子第5小学校へ出向いて万葉太鼓を披露する、という企画を物心両面で応援してくださる方たちがいて、7月15日に上京することになっている、とのこと。
私は伺えませんでしたが、武藤さんご夫妻は王子第5小学校へ当日出向き、さらにつながりを深められたようです。

顔の見える支援を続けることの大切さを痛感した南相馬行でした。


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【2011/07/25 16:58】 | 原発・震災
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お疲れ様でした
ZMKirin
南相馬レポートありがとうございます。私も思い出の品洗浄作業ボランティアやりました。まさか自分の住んでいる市の議員さんが、南相馬でボランティアをされるとは思ってもいませんでした。ご体験を是非、東村山市の防災対策、エネルギー政策に活かしていただければと思う次第です。南相馬市出生 東村山市在住者 ZMKirin (Twitter名)

Re: お疲れ様でした
佐藤まさたか
ZMKirinさん コメントくださりありがとうございました。

一口に「息の長い支援」と言っても、いかにあるべきか、は難しいと感じています。

ブログを拝見しました。
http://minamisoumavolunteer.wordpress.com/%e3%82%82%e3%81%86%e3%83%9c%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%86%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%82%84%e7%89%a9%e8%b3%87%e6%8f%b4%e5%8a%a9%e3%81%af%e9%80%80%e3%81%8f%e6%99%82/

とても大切な視点、指摘であり、心に留めていかねばと思います。
ありがとうございます。




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6月議会中の休会日だった6月18日(土)から20日(月)にかけて、南相馬市へ初めて赴きました。
東村山「南相馬市」支援会を立ち上げ、今回で6回目の訪問となるた武藤さんご夫妻とお友達の方と車3台に支援物資&機材を積んで、18日(土)朝6時に東村山駅東口を出発。
私の車には、東村山市立図書館から譲っていただいた子どもたち向けの本を十数箱、月曜日に真野小学校の授業で使う証明道具機材の一部など満載です。

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東北道はかなり混雑していて、みなさんボランティアに向かうのかな?などと話していましたが、休日高速1,000円ラストの日だとわかりました。
二本松IC手前で事故渋滞もあり、川俣町~飯館村を経由して現地に着いて小川町体育館に物資を下したのは2時頃でした。
途中、飯舘村には田畑が広がっていましたが、作付されているところはなく、街道沿いには人影もありません。
原発から40㎞も離れているのに、この3日後には役場も村外に移転を余儀なくされると聞いていました。

小川町体育館1
小川町体育館2

続いて積んできた電子レンジを原町第二中学校にに届けましたが、こちらでは各教室毎に10名程度の方たちが避難生活をされており、仮設の浴場のまわりでは子どもたちが遊んでいました。

この後、原町第一小学校へ向かいました。

クマさんがまたやってくる

民謡の方たちと打ち合わせ

朗読劇

館内いっぱいに響いた相馬の民謡

盆踊りの輪が広がりました

盆踊り

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クマさん(武藤さん)の朗読劇、お友達のとんさんの歌、そして地元の民謡グループの皆さんによる相馬地方の唄の数々…。
避難所となっている体育館には高齢の方が多く、足の悪い方や寝たきりに近い方もおられましたが、最後は盆踊りの輪ができ、座ったままでも上半身だけで一生懸命踊る姿があちこちに見られました。
殺風景だからと立派な盆栽を体育館のあちこちにおいて毎日のように手入れをしに来られる男性や、県内の避難所を巡って高齢の方たちと大きな絵を描いている関西の学生グループなど、短時間でしたがいろいろな方とお会いしました。

その後、沿岸部に向かって車を走らせました。

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北泉海浜公園へ続く道の途中までは全く何でもないのに、ある地点からほんの少し下った先から風景は一変。
この家に住んでいた方、この車を運転されていた方は、無事でいらっしゃるのだろうか?胸が騒ぎます。
かなりの高さまで波が来たことが素人目にもすぐにわかりました。

公園周辺へ出ると、そこはすべてが根こそぎ消えていて、海岸沿いに見える原町火力発電所の巨大な燃料タンクは、アルミ缶を握りつぶしたみたいにひしゃげています。

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沖には座礁したタンカーが放置されていて、崩れた防波堤を伝って発電所のほんの近くまで行ってみましたが、高さ15mか20mはあろうかというタンクだけではなく、その高さにある建物は全て破壊されていました。
火力発電所の再開も本当に大変なことだと感じました。

海岸線に別れを告げ、宿泊先の同市鹿島町川子にあるテント村に向かいました。
その間、遠くに見える家屋はことごとく1階部分が津波につぶされています。
そして海岸線から3㎞以上入ったところで、突然、畑の中に漁船が何隻も横倒しになっている光景が目に飛び込んできました。
テレビでは見ていましたが、にわかには信じられない思いでした。周囲には磯のにおいが立ち込めています。

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漁師さんたちは無事だったのでしょうか?


その一角に、月曜日にお邪魔する予定の真野小学校がありました。
1階部分は全て津波に洗われたそうで、教員室の机や印刷機、無数の印刷物などが庭に出されていました。6月上旬にのべ350名以上のボランティアが入って2週間かけて清掃、復旧作業をされたのだそうです。

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金曜日の午後2時46分に起きた大震災。
まだまだ多くの子どもたちが学校にいたはずです。みんな無事に逃げられたのでしょうか?
月曜日には、仮校舎となっている万葉ふれあいセンターに伺うので聞いてみよう。そう思いながらテント村へ急ぎました。

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このテント村は鹿島地区の消防団詰所の一角にあって、被災直後からボランティアの基地として機能してきたそうで、地元の方と、震災発生直後に東京から来られてずっとボランティアのコーディネートに当たっている認定NPO法人サイドバイサイドインターナショナルの方が一緒に運営にあたっておられました。
東村山市立図書館から譲っていただいた子どもたち向けの書籍は、こちらに全てお預けし、最も有効なルートで子どもたちに読んでもらえることになりました。

長くなりました。後編はまた。

【訂正とお詫び】
ブログをお読みいただいた現地事情に詳しい方から、以下のコメントをいただきました。
ありがとうございます。私の認識が違っておりました。お詫びして訂正をさせていただきます。(7月6日17時)

「ちょっと訂正。
あのテント村の運営は消防と南相馬桜援隊が行っています。

サイドバイサイドさんは協力団体という立場だと思います。

写真に写っているのは南相馬桜援隊、隊長の鴻巣将樹さんです。
横浜から3月29日にボランティアに入りずっと活動しているつわものです。」



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【2011/07/04 23:47】 | 原発・震災
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今朝の東京新聞「筆洗」が、原発をめぐる国民投票を取り上げていました。

日本の現状を踏まえ、イタリアは一つの答えを国民総がかりで出しました。

『みんなで決めよう「原発」国民投票』が本格的に動き出しています。
会のHPをご覧いただければと思います。

マガジン9には、呼びかけ人の一人、今井一さんの緊急特別インタビューも掲載されています。

Jcastニュースでも、会の動きが紹介されました。

合わせてお読みただけれれば幸いです。

今、そして未来へ向けて、いろいろな思い、いろいろな考え、いろいろな行動があっていい。そう思います。

今こそ、大事なことを政府や国会任せにするのではなく、私たち自身の手で決めるため、国民投票を実現させたい。私はそう考え、活動に参加しています。

6月25日(土)18:30~20:30には、中央区の月島区民館で結成総会が行われます。

よっしゃ!私も一肌脱ごうじゃないの、という方。ぜひ一緒にやりましょう。


【2011/06/15 23:01】 | 原発・震災
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明日(6月1日)の夜は、いや今夜ですね…6月定例議会初日が終わったら、『みんなで決めよう「原発」国民投票』の東京準備会のため、南新宿に出向くことにしています。
反でも脱でもなく、原発を今後どうするのかについて国民投票で決めていこうという活動。東京、名古屋、大阪でそれぞれ起こし、国会を動かそうということで、準備が進んでいます。
ぜひ会のHPをご覧いただき、ご賛同いただける方はぜひご参加ください。
また、このような動きがあることを広めていただければ大変ありがたいです。

会への参加にあたり、私が送ったメッセージは以下のようなものです。私が参加する意図をご理解いただけるのではないかと思います。
野外教育、学童保育、保育所…と子どもの現場で働いたのち、8年前から市議会で仕事をすることになりました。政党や特定の団体と支持・支援関係なしの議員です。

5年前の今頃、東村山駅西口で予定されていた再開発事業の中身が市長周辺の一部の者にしか見えず、100億円以上を投じるにもかかわらず市民の目、声が全く届いていないことが許せず、「再開発反対」ではなく「みんなで決めよう!西口再開発」の住民投票条例策定運動を何人かで立ち上げました。法定数をはるかに超える署名が集まり、条例案を議会にかけるところまでいきましたが、最後の最後に自称市民派の無所属議員1名が反対に回り、可否同数、議長裁決により否決。住民投票が実現することはありませんでした。

この時の苦い経験から、首長や議会の意向に左右されることのない制度「実施必至型」の実現が住民自治には不可欠だと思っています。

原発については、若い頃に広瀬隆さんの書いたものを読み漁り、「そうだ、東京に造ればいいんだ!」と思っていたり、経済効率が最も良いなどという宣伝は嘘っぱちだ!と怒ったりしていましたが、自分として具体的な行動を起こしたことはなく、批判めいた姿勢を取りながら豊かさを享受してきた一人です。
そういう意味で、「反原発」「即時全廃」の運動に声高に参加することにはためらいがありまして、今回の国民投票を求める声は、私にとってきわめて自然なものです。

自分たちの世代で責任を負いきれないことをここまで許してきてしまったことに責任を感じつつ、一人ひとりが自分のこととして考え、その考えをぶつけあうこと、議論することを通じて、賢い国民(市民)が増えていくことが大事なことだと考えています。
「大事なことは国民(市民)が決める国(自治体)」へ。
私自身も学びながら運動に参加できたらいいなと思っています。


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【2011/06/01 00:00】 | 原発・震災
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