無所属の東村山市議会議員・佐藤まさたかです。市議としての活動、考え、こぼれ話、余談、雑感…。実感ある発信を続けていきたいと思っています。
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靖国鳥居2

「あそこには行かない」と若い頃から何となく決めていた場所の一つ・靖国神社を、炎天下の一昨日(14日)午後、訪ねてみた。
都内で開かれた小さな勉強会に2日間参加したのだが、空き時間に会場の外へ出てみると、すぐ近くが靖国神社だとわかった。

今までだって目の前は何度も通ったことがあるし、立ち寄ろうと思えばできないことはなかったのが、首相・閣僚の公式参拝問題や、象徴的な施設と言われる遊就館の存在など、自分として譲れないと考えている諸問題を前に、「行かない」ことが自分の意思を示すこと、くらいに考えていた。
けれど最近になって、特にここ数年報道されることが増えたように思う遊就館については、一度実際に自分の目で確かめてみることが大事ではないか、と思っていた。
靖国鳥居

大鳥居をくぐって境内に一歩足を踏み入れると、全国各地の遺族会や崇敬会と書かれた幟を手にした団体の姿や、カメラ片手の外国人が目立つ。
辻々に警察官が立ち、機動隊の車も多数停まっている。
大村益次郎像の先の参道では、翌日(終戦記念日)に控えた式典会場の準備が進められていた。
靖国参道


蝉時雨響く中、神門と鳥居二つをくぐって拝殿へと進み、遊就館へと向かった。

遊就館新館

遊就館旧館


そこは勝手に想像していたような古びた建物ではなく、ガラス張り2階建ての近代的な館で、2階から見学コースが始まっていた。
「近代史を伝える」と館のパンフにある通り、幕末から明治維新に至る頃への動き、明治維新、西南戦争…と続く展示は、それなりに丁寧に記されている。「ああ、歴史の授業でやったなぁ」程度で済ませてきた自分の
浅学に今さらながら気づかされる。
「武(もののふ)の歴史」を伝えると言うだけあって、第二次世界大戦だけではなく、日清日露、第一次大戦、そして満州事変…と展示は続く。
2階は、第二次世界大戦の前で終了。
靖国神社自体の歴史を記した展示室もあったが、歴史の浅さが意外に感じられた。

1階に下りると、いよいよ第二次大戦の展示が続く。
「大東亜戦争1」では、真珠湾攻撃に至るまでの経緯が細かく記され、「これじゃ戦争に踏み切らざるを得なかったのは当然でしょう」と訴えかけてくるようだ。
「2」「3」「4」と進むにつれ、戦況がどの頃からどのように悪くなっていったのか、ということが刻々と伝わって来る。
日本軍がいかに勇敢に戦い、散っていったか、という展示が詳細に続く。
一方で、日本軍が敵地で何を行ったのか。侵略を受け、戦地となった国々はどのような状況だったのか。といった展示は見られない。

そういえば子どもの頃、夏になると必ず、戦時中の記録映画や従軍カメラマンによる当時の映像を放映するテレビがあったことを思い出す。豪雨の中の「学徒出陣」や、サイパン、ガダルカナル、ミッドウェー等の島々での戦闘の様子などを収めた番組を家族揃って観たものだ。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…」
その頃のテレビから断片的に耳にしたことのある終戦詔書も、今回初めてじっくり読んでみた。

つい最近、私の父方の祖父は職業軍人だったということを、79歳になった父の口から初めて聞いた。山本五十六艦長、佐藤機関長、ということもあったんだ、と。父は兄も戦地でなくしている。
がむしゃらに働いて家族を養ってきた父は、10数年前に退職してから、南京大虐殺の信憑性や歴史教科書問題などで私に議論を仕掛けてくるようになった。私が仕事で10数年前、中高校生10数名を引率して中国へ行き、南京虐殺記念館へも赴いたときなどは尚のことだった。

一旦引き鉄を引けばおいそれとは引き返せなくなってしまうのが戦争なのだ、ということが、今なお教訓として生かされていない愚かさ。
憲法改正や核武装を語ることが大人で、戦争に反対することは幼稚なことだ、という今日の日本に流れるムード。

非戦、反戦、平和…。

どれだけリアルな問題として考え、行動していけるのか。

大きなことは言えないが、思いもかけず訪れた靖国の暑い暑い境内で、自分なりに思いをめぐらせることができたことはよかったように思う。

本屋でたまたま見つけたこんな雑誌がおもしろい。


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【2007/08/16 23:50】 | もろもろ
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