無所属の東村山市議会議員・佐藤まさたかです。市議としての活動、考え、こぼれ話、余談、雑感…。実感ある発信を続けていきたいと思っています。
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熊木議員奥谷議員も既に報告されているように、昨日(6日)は全生園「いのちとこころの人権の森宣言」記念碑除幕式があり、出向きました。
あいにくの天気でしたが、石碑を挟んで両側にはテントを設けてくださっていました。



式典の司会を務められたのは入所者自治会副会長の志田彊さん。ウィットに富み思いのこもった一言一言が印象的でした。(以前、読売新聞で紹介されていた記事はこちらです。)

あいさつに立つ佐川自治会長と渡部市長


昨年9月議会で議決した宣言文は…

「いのちとこころの人権の森宣言」

かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。
この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。

東京都東村山市




渡部市長はあいさつの中で、「本来は市として石碑建立を、と考えたが、国有地内に自治体が直接建てることは現在の制度上難しかったので、自治会に建てていただき、市が助成をするという形で実現した」と述べていました。そうだったのですね。

同じくあいさつに立った川上議長は「本来であれば全会一致で議決すべきものだったが、大変残念なことに2名の議員が反対したので、それ以外の議員による賛成多数となった」と述べました。
昨年9月2日に宣言を議決した際の市議会会議録、討論の部分を見てみましょう。


○5番(朝木直子議員) 議案第50号について、草の根市民クラブは、以下の理由により、反対する。

全生園の歴史は、「倶会一処」に詳細に表現されているとおり、患者の人としての尊厳を踏みにじり、その人権をじゅうりんした、絶対に許されることのできない、私たちにとって、消し去ることのできない恥ずべき歴史である。しかるに、本件宣言は、これら私たちがうちそろって全人生をかけて責任を明らかにし、贖罪すべきであるにもかかわらず、これに一言も言及がなく、責任を不明確にし、全生園の人権じゅうりんの歴史を隠ぺいするものにすぎない。よって、草の根市民クラブは、本件宣言に強く反対する。

○議長(川上隆之議員) ほかに討論ございませんか。21番、駒崎高行議員。

○21番(駒崎高行議員) 議案第50号につきまして、公明党を代表して、賛成の立場から討論に参加させていただきます。

先ほど、東村山市議会の全員協議会におきまして、佐川会長の思いを込められた貴重なお話と、未来へ向かう青葉小学校の児童お二人の作文の発表を拝聴させていただきました。大変にありがとうございました。

明治42年に創立された多磨全生園の100年の歴史は、そのほとんどが暗い歴史でありました。差別や隔離など、知れば知るほどに、人間の心にひそむ魔性、権力の恐ろしさを実感せざるを得ません。

紆余曲折の経過を経て、現在では、青葉小学校を初めとする小学校の人権教育に多大な貢献をしていただき、また、緑豊かな市民の憩いの場として全生園が東村山の大きな財産となっているのは、過去の責任を問うよりも、未来をより多く見つめていらっしゃる入所者の皆様の生き方がもととなっていると思い、驚きを禁じ得ません。

この全生園を未来にわたって受け継ぐことを決意し、表明することは、誇りと思います。今議会での、いのちとこころの人権の森宣言に、大きな意義を認め、賛成の討論といたします。

○議長(川上隆之議員) ほかに討論ございませんか。

〔「なし」と呼ぶ者あり〕

○議長(川上隆之議員) 以上で討論を終了し、採決に入ります。

本案を、原案のとおり可決することに賛成の方の挙手を求めます。

〔賛成者挙手〕

○議長(川上隆之議員) 挙手多数と認めます。よって、本案は原案のとおり可決されました。



当時、宣言文の起草には、入所者自治会から佐川会長、志田副会長、平沢保治前会長、そしてハンセン病資料館長等々、当事者、関係者の皆さんが入っておられ、一字一句かなりの時間をかけながら成文化されたと聞きます。
除幕式の冒頭、あいさつに立たれた佐川会長の言葉に深い思いを感じながら、矢野・朝木両氏の反対はいったい何のため、誰のためであったのだろうかと改めて疑念と不快感を覚えました。


全生園の深い緑の中に石碑は静かに建っています。

石碑


以前、薄井議員もブログの中でこう書いておられました。「全生園へ行こう」。

3月議会が終わったら、桜と菜の花に包まれた全生園を久しぶりにゆっくり訪ねてみようと思います。


話は全く変わりますが、明日は、薄井議員が矢野・朝木議員を名誉棄損で訴えた裁判の判決が午後1時10分から東京地裁立川支部で言い渡されます。
今さら説明するまでもありませんが、薄井さんに対する両名による誹謗中傷はまさにえげつなく、とても公職にある者とは思えない酷さでした。私は朝木議員が議場内で薄井さんに向かって「キモチワルイ」と口にする姿も見てきました。矢野議員が裁判所の廊下で「セクハラはお前の代名詞だ」と薄井議員に向かって吐き捨てた現場にも私はいました。
良識ある明快な答えが出ることを信じて、明日は法廷に向かいたいと思います。

尚、直後の2時からは同じ裁判所内で場所を移して、私が昨年11月に矢野・朝木両氏から名誉棄損でいきなり訴えられた裁判もあります。
こちらは「弁論準備」なので傍聴していただくことはできませんが、弁護士の先生と一緒に出向いてきます。

「あの~、この人たちは裁判ばっかりしているように聞きますが、いったいどんな人たちなんですか?」
つい最近、東村山に越してこられたばかりの方に、こんな‘新鮮な’質問をいただきました。
私が説明すると怒りが先に立ち、どのくらい時間がかかるかわからないので、「3羽の雀さんがまとめてくださっているコチラのページが素晴らしくよくできているので、ここをご覧になってからまた質問をください」とお答えしておきました。






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式典の司会を務められたのは入所者自治会副会長の志田彊さん。ウィットに富み思いのこもった一言一言が印象的でした。(以前、読売新聞で紹介されていた記事はこちらです。)

あいさつに立つ佐川自治会長と渡部市長


昨年9月議会で議決した宣言文は…

「いのちとこころの人権の森宣言」

かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。
この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。

東京都東村山市




渡部市長はあいさつの中で、「本来は市として石碑建立を、と考えたが、国有地内に自治体が直接建てることは現在の制度上難しかったので、自治会に建てていただき、市が助成をするという形で実現した」と述べていました。そうだったのですね。

同じくあいさつに立った川上議長は「本来であれば全会一致で議決すべきものだったが、大変残念なことに2名の議員が反対したので、それ以外の議員による賛成多数となった」と述べました。
昨年9月2日に宣言を議決した際の市議会会議録、討論の部分を見てみましょう。


○5番(朝木直子議員) 議案第50号について、草の根市民クラブは、以下の理由により、反対する。

全生園の歴史は、「倶会一処」に詳細に表現されているとおり、患者の人としての尊厳を踏みにじり、その人権をじゅうりんした、絶対に許されることのできない、私たちにとって、消し去ることのできない恥ずべき歴史である。しかるに、本件宣言は、これら私たちがうちそろって全人生をかけて責任を明らかにし、贖罪すべきであるにもかかわらず、これに一言も言及がなく、責任を不明確にし、全生園の人権じゅうりんの歴史を隠ぺいするものにすぎない。よって、草の根市民クラブは、本件宣言に強く反対する。

○議長(川上隆之議員) ほかに討論ございませんか。21番、駒崎高行議員。

○21番(駒崎高行議員) 議案第50号につきまして、公明党を代表して、賛成の立場から討論に参加させていただきます。

先ほど、東村山市議会の全員協議会におきまして、佐川会長の思いを込められた貴重なお話と、未来へ向かう青葉小学校の児童お二人の作文の発表を拝聴させていただきました。大変にありがとうございました。

明治42年に創立された多磨全生園の100年の歴史は、そのほとんどが暗い歴史でありました。差別や隔離など、知れば知るほどに、人間の心にひそむ魔性、権力の恐ろしさを実感せざるを得ません。

紆余曲折の経過を経て、現在では、青葉小学校を初めとする小学校の人権教育に多大な貢献をしていただき、また、緑豊かな市民の憩いの場として全生園が東村山の大きな財産となっているのは、過去の責任を問うよりも、未来をより多く見つめていらっしゃる入所者の皆様の生き方がもととなっていると思い、驚きを禁じ得ません。

この全生園を未来にわたって受け継ぐことを決意し、表明することは、誇りと思います。今議会での、いのちとこころの人権の森宣言に、大きな意義を認め、賛成の討論といたします。

○議長(川上隆之議員) ほかに討論ございませんか。

〔「なし」と呼ぶ者あり〕

○議長(川上隆之議員) 以上で討論を終了し、採決に入ります。

本案を、原案のとおり可決することに賛成の方の挙手を求めます。

〔賛成者挙手〕

○議長(川上隆之議員) 挙手多数と認めます。よって、本案は原案のとおり可決されました。



当時、宣言文の起草には、入所者自治会から佐川会長、志田副会長、平沢保治前会長、そしてハンセン病資料館長等々、当事者、関係者の皆さんが入っておられ、一字一句かなりの時間をかけながら成文化されたと聞きます。
除幕式の冒頭、あいさつに立たれた佐川会長の言葉に深い思いを感じながら、矢野・朝木両氏の反対はいったい何のため、誰のためであったのだろうかと改めて疑念と不快感を覚えました。


全生園の深い緑の中に石碑は静かに建っています。

石碑


以前、薄井議員もブログの中でこう書いておられました。「全生園へ行こう」。

3月議会が終わったら、桜と菜の花に包まれた全生園を久しぶりにゆっくり訪ねてみようと思います。


話は全く変わりますが、明日は、薄井議員が矢野・朝木議員を名誉棄損で訴えた裁判の判決が午後1時10分から東京地裁立川支部で言い渡されます。
今さら説明するまでもありませんが、薄井さんに対する両名による誹謗中傷はまさにえげつなく、とても公職にある者とは思えない酷さでした。私は朝木議員が議場内で薄井さんに向かって「キモチワルイ」と口にする姿も見てきました。矢野議員が裁判所の廊下で「セクハラはお前の代名詞だ」と薄井議員に向かって吐き捨てた現場にも私はいました。
良識ある明快な答えが出ることを信じて、明日は法廷に向かいたいと思います。

尚、直後の2時からは同じ裁判所内で場所を移して、私が昨年11月に矢野・朝木両氏から名誉棄損でいきなり訴えられた裁判もあります。
こちらは「弁論準備」なので傍聴していただくことはできませんが、弁護士の先生と一緒に出向いてきます。

「あの~、この人たちは裁判ばっかりしているように聞きますが、いったいどんな人たちなんですか?」
つい最近、東村山に越してこられたばかりの方に、こんな‘新鮮な’質問をいただきました。
私が説明すると怒りが先に立ち、どのくらい時間がかかるかわからないので、「3羽の雀さんがまとめてくださっているコチラのページが素晴らしくよくできているので、ここをご覧になってからまた質問をください」とお答えしておきました。






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【2010/03/07 23:56】 | 未分類
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