無所属の東村山市議会議員・佐藤まさたかです。市議としての活動、考え、こぼれ話、余談、雑感…。実感ある発信を続けていきたいと思っています。
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6月議会中の休会日だった6月18日(土)から20日(月)にかけて、南相馬市へ初めて赴きました。
東村山「南相馬市」支援会を立ち上げ、今回で6回目の訪問となるた武藤さんご夫妻とお友達の方と車3台に支援物資&機材を積んで、18日(土)朝6時に東村山駅東口を出発。
私の車には、東村山市立図書館から譲っていただいた子どもたち向けの本を十数箱、月曜日に真野小学校の授業で使う証明道具機材の一部など満載です。

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東北道はかなり混雑していて、みなさんボランティアに向かうのかな?などと話していましたが、休日高速1,000円ラストの日だとわかりました。
二本松IC手前で事故渋滞もあり、川俣町~飯館村を経由して現地に着いて小川町体育館に物資を下したのは2時頃でした。
途中、飯舘村には田畑が広がっていましたが、作付されているところはなく、街道沿いには人影もありません。
原発から40㎞も離れているのに、この3日後には役場も村外に移転を余儀なくされると聞いていました。

小川町体育館1
小川町体育館2

続いて積んできた電子レンジを原町第二中学校にに届けましたが、こちらでは各教室毎に10名程度の方たちが避難生活をされており、仮設の浴場のまわりでは子どもたちが遊んでいました。

この後、原町第一小学校へ向かいました。

クマさんがまたやってくる

民謡の方たちと打ち合わせ

朗読劇

館内いっぱいに響いた相馬の民謡

盆踊りの輪が広がりました

盆踊り

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クマさん(武藤さん)の朗読劇、お友達のとんさんの歌、そして地元の民謡グループの皆さんによる相馬地方の唄の数々…。
避難所となっている体育館には高齢の方が多く、足の悪い方や寝たきりに近い方もおられましたが、最後は盆踊りの輪ができ、座ったままでも上半身だけで一生懸命踊る姿があちこちに見られました。
殺風景だからと立派な盆栽を体育館のあちこちにおいて毎日のように手入れをしに来られる男性や、県内の避難所を巡って高齢の方たちと大きな絵を描いている関西の学生グループなど、短時間でしたがいろいろな方とお会いしました。

その後、沿岸部に向かって車を走らせました。

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北泉海浜公園へ続く道の途中までは全く何でもないのに、ある地点からほんの少し下った先から風景は一変。
この家に住んでいた方、この車を運転されていた方は、無事でいらっしゃるのだろうか?胸が騒ぎます。
かなりの高さまで波が来たことが素人目にもすぐにわかりました。

公園周辺へ出ると、そこはすべてが根こそぎ消えていて、海岸沿いに見える原町火力発電所の巨大な燃料タンクは、アルミ缶を握りつぶしたみたいにひしゃげています。

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沖には座礁したタンカーが放置されていて、崩れた防波堤を伝って発電所のほんの近くまで行ってみましたが、高さ15mか20mはあろうかというタンクだけではなく、その高さにある建物は全て破壊されていました。
火力発電所の再開も本当に大変なことだと感じました。

海岸線に別れを告げ、宿泊先の同市鹿島町川子にあるテント村に向かいました。
その間、遠くに見える家屋はことごとく1階部分が津波につぶされています。
そして海岸線から3㎞以上入ったところで、突然、畑の中に漁船が何隻も横倒しになっている光景が目に飛び込んできました。
テレビでは見ていましたが、にわかには信じられない思いでした。周囲には磯のにおいが立ち込めています。

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漁師さんたちは無事だったのでしょうか?


その一角に、月曜日にお邪魔する予定の真野小学校がありました。
1階部分は全て津波に洗われたそうで、教員室の机や印刷機、無数の印刷物などが庭に出されていました。6月上旬にのべ350名以上のボランティアが入って2週間かけて清掃、復旧作業をされたのだそうです。

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金曜日の午後2時46分に起きた大震災。
まだまだ多くの子どもたちが学校にいたはずです。みんな無事に逃げられたのでしょうか?
月曜日には、仮校舎となっている万葉ふれあいセンターに伺うので聞いてみよう。そう思いながらテント村へ急ぎました。

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このテント村は鹿島地区の消防団詰所の一角にあって、被災直後からボランティアの基地として機能してきたそうで、地元の方と、震災発生直後に東京から来られてずっとボランティアのコーディネートに当たっている認定NPO法人サイドバイサイドインターナショナルの方が一緒に運営にあたっておられました。
東村山市立図書館から譲っていただいた子どもたち向けの書籍は、こちらに全てお預けし、最も有効なルートで子どもたちに読んでもらえることになりました。

長くなりました。後編はまた。

【訂正とお詫び】
ブログをお読みいただいた現地事情に詳しい方から、以下のコメントをいただきました。
ありがとうございます。私の認識が違っておりました。お詫びして訂正をさせていただきます。(7月6日17時)

「ちょっと訂正。
あのテント村の運営は消防と南相馬桜援隊が行っています。

サイドバイサイドさんは協力団体という立場だと思います。

写真に写っているのは南相馬桜援隊、隊長の鴻巣将樹さんです。
横浜から3月29日にボランティアに入りずっと活動しているつわものです。」

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東北道はかなり混雑していて、みなさんボランティアに向かうのかな?などと話していましたが、休日高速1,000円ラストの日だとわかりました。
二本松IC手前で事故渋滞もあり、川俣町~飯館村を経由して現地に着いて小川町体育館に物資を下したのは2時頃でした。
途中、飯舘村には田畑が広がっていましたが、作付されているところはなく、街道沿いには人影もありません。
原発から40㎞も離れているのに、この3日後には役場も村外に移転を余儀なくされると聞いていました。

小川町体育館1
小川町体育館2

続いて積んできた電子レンジを原町第二中学校にに届けましたが、こちらでは各教室毎に10名程度の方たちが避難生活をされており、仮設の浴場のまわりでは子どもたちが遊んでいました。

この後、原町第一小学校へ向かいました。

クマさんがまたやってくる

民謡の方たちと打ち合わせ

朗読劇

館内いっぱいに響いた相馬の民謡

盆踊りの輪が広がりました

盆踊り

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クマさん(武藤さん)の朗読劇、お友達のとんさんの歌、そして地元の民謡グループの皆さんによる相馬地方の唄の数々…。
避難所となっている体育館には高齢の方が多く、足の悪い方や寝たきりに近い方もおられましたが、最後は盆踊りの輪ができ、座ったままでも上半身だけで一生懸命踊る姿があちこちに見られました。
殺風景だからと立派な盆栽を体育館のあちこちにおいて毎日のように手入れをしに来られる男性や、県内の避難所を巡って高齢の方たちと大きな絵を描いている関西の学生グループなど、短時間でしたがいろいろな方とお会いしました。

その後、沿岸部に向かって車を走らせました。

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北泉海浜公園へ続く道の途中までは全く何でもないのに、ある地点からほんの少し下った先から風景は一変。
この家に住んでいた方、この車を運転されていた方は、無事でいらっしゃるのだろうか?胸が騒ぎます。
かなりの高さまで波が来たことが素人目にもすぐにわかりました。

公園周辺へ出ると、そこはすべてが根こそぎ消えていて、海岸沿いに見える原町火力発電所の巨大な燃料タンクは、アルミ缶を握りつぶしたみたいにひしゃげています。

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沖には座礁したタンカーが放置されていて、崩れた防波堤を伝って発電所のほんの近くまで行ってみましたが、高さ15mか20mはあろうかというタンクだけではなく、その高さにある建物は全て破壊されていました。
火力発電所の再開も本当に大変なことだと感じました。

海岸線に別れを告げ、宿泊先の同市鹿島町川子にあるテント村に向かいました。
その間、遠くに見える家屋はことごとく1階部分が津波につぶされています。
そして海岸線から3㎞以上入ったところで、突然、畑の中に漁船が何隻も横倒しになっている光景が目に飛び込んできました。
テレビでは見ていましたが、にわかには信じられない思いでした。周囲には磯のにおいが立ち込めています。

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漁師さんたちは無事だったのでしょうか?


その一角に、月曜日にお邪魔する予定の真野小学校がありました。
1階部分は全て津波に洗われたそうで、教員室の机や印刷機、無数の印刷物などが庭に出されていました。6月上旬にのべ350名以上のボランティアが入って2週間かけて清掃、復旧作業をされたのだそうです。

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金曜日の午後2時46分に起きた大震災。
まだまだ多くの子どもたちが学校にいたはずです。みんな無事に逃げられたのでしょうか?
月曜日には、仮校舎となっている万葉ふれあいセンターに伺うので聞いてみよう。そう思いながらテント村へ急ぎました。

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このテント村は鹿島地区の消防団詰所の一角にあって、被災直後からボランティアの基地として機能してきたそうで、地元の方と、震災発生直後に東京から来られてずっとボランティアのコーディネートに当たっている認定NPO法人サイドバイサイドインターナショナルの方が一緒に運営にあたっておられました。
東村山市立図書館から譲っていただいた子どもたち向けの書籍は、こちらに全てお預けし、最も有効なルートで子どもたちに読んでもらえることになりました。

長くなりました。後編はまた。

【訂正とお詫び】
ブログをお読みいただいた現地事情に詳しい方から、以下のコメントをいただきました。
ありがとうございます。私の認識が違っておりました。お詫びして訂正をさせていただきます。(7月6日17時)

「ちょっと訂正。
あのテント村の運営は消防と南相馬桜援隊が行っています。

サイドバイサイドさんは協力団体という立場だと思います。

写真に写っているのは南相馬桜援隊、隊長の鴻巣将樹さんです。
横浜から3月29日にボランティアに入りずっと活動しているつわものです。」

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【2011/07/04 23:47】 | 原発・震災
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