無所属の東村山市議会議員・佐藤まさたかです。市議としての活動、考え、こぼれ話、余談、雑感…。実感ある発信を続けていきたいと思っています。
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東村山市議会には4つの常任委員会があって、それぞれがおおむね以下のような割で市の業務を所掌しています。

政策総務…経営政策部、総務部、選挙管理委員会、監査委員、秘書課、会計課の所管に属する事項及び他の所管に属さない事項の審査
厚生…健康福祉部、子ども家庭部の所管に属する事項の審査
環境建設…資源循環部、都市環境部の所管に属する事項の審査
生活文教…市民部、教育委員会、農業委員会の所管に属する事項の審査


昨日と一昨日は、このうち生活文教委員会の視察として、長野県飯田市と静岡市に伺ってきたものです。

委員会としての視察は、私が議会に入った8年前は年に一度、2泊3日で行なっていましたが、議会も経費削減に努めるという趣旨からまず行政側の随行職員を廃止。次に2泊を1泊に縮減。そして21年度には隔年実施に改めました。
今はネットを通してわかるのだから全廃すべし、という声があることも承知していますし、草の根の矢野、朝木議員はそういう趣旨で全く参加していません。
視察をして来てよかったからすぐに東村山市でも事業化できる、ということも稀です。

それでも、私は委員会の委員が同じ課題について先進自治体から学ぶ機会は必要だと考えています。
出向くことでしか得られないものが確実にあると感じています。
得たことがすぐに形にならなくとも、自分の中に種として残り、その後少しずつ育ててくることができたり、後日全く別の機会に学んだ中身とある日突然つながって整理できたりすることも少なくありません。

問題は、それらをどういう形で活かしていけるかについて、視察後に議員間でほとんど議論したりする仕組み、風土がないことだと思っており、議会改革の取り組みとも関係しますが、議員間で視察を議会としての力にできるよう仕掛けを考えていきたいと思っています。

それから、所管職員の随行を今年度復活させ、今回は市民部の原次長が同行くださいました。
これも、議会だけで先進地に学ぶのではなく、行政も一緒に見て感じた方が施策として実現していくにはよいのではないか、という改選前の代表者会議での申し合わせによるものです。
これも正解だったのではないか、と今は感じています。

さて、飯田市の視察です。
飯田市には、中心市街地活性化事業等を推進する「(株)飯田まちづくりカンパニー」という組織があり、様々ユニークな展開が図られていると聞いていました。
中小企業庁「がんばる商店街77選」にも選ばれています。
※絵になるところがたくさんあったのに、カメラをバスの中に置いて下りてしまって写真がありません…失敗。

待ち合わせ場所の「エコハウス」で待っていてくださったのは、飯田市 商業・市街地活性課という課の遠山課長補佐さんでした。

まちづくりカンパニー設立までの背景、歴史的経過などはリンク先をご覧いただく通りの説明ですが、江戸時代からの街並みや知恵をベースに、市街地整備についての全体の理念、構想を丁寧につくりあげてきたことがよくよく伝わってきました。
対象地域は1,500haと言いますから、東村山駅の西口再開発(当初6haだったものが結局1.04ha)や久米川駅周辺整備とは桁が違うわけですが。全体を貫くイメージが十分に検討されているので、面的な整備が進んできたのだと思います。

そして、連携です。

再開発事業は東村山駅西口同様の組合施行方式なのですが、公と民、そしてNPO組織等が実にうまくつながり、それぞれの得手とする部分を活かしながら事業展開を図っていることがわかりました。

説明いただいた後に各委員が伺った主な質問とそれへの回答も含め、印象に残ったことをいくつか記しておきたいと思います。

・市街地内に整備された「りんご並木」の持つ意味
繰り返された大火から、防火帯として道路幅を広く取る整備がすすめられた。最も広い幅員30mの道路は当初4車線道路だったが、昭和28年に分離帯に中学生の発想で林檎の木が植えられ、中学生たちの手によって管理活動が現在まで続いている。その後、木が大きく育ち枝を広げたため、道路を2車線とし、さらに歩行者にやさしい道として再整備をしてきた。
道の豊かさとは、幅員部分だけではなく沿道の豊かさも大事なので、少しずつ整備を進めてきた。「自分たちの手で美しい街をつくる」という思いが長い間かけて受け継がれ、飯田のまちづくりの原点となっており、りんご並木が再生の起爆剤となっている。

・戸建が当たり前の地域の再開発にマンションを整備した意味
超高齢化を見越して、「街中で暮らすことの豊かさを提案したい」と3段階で整備した再開発事業の中に、中層のマンションを併設してきた。
しかし当初、飯田では分譲マンションは無理、と誰もが考えており、大手業者も全く乗ってこなかった。それなら自分たちで、と地元の5人の市民が発起人、出資者となり、(株)まちづくりカンパニーを設立した。
平成13年の第1次では、東京や名古屋等に住む飯田市出身者に売り込みをかけたところ、42戸が即完売。1階には地元スーパー、2階と3階には生活に必要な行政施設を整備し、4階以上に住居という形にした。
すると第2地区(29戸)、第3地区(13戸)では、地元在住者、20代や30代の若い層からも反応があり、いずれも即日完売となった。
「身の丈に合った再開発」「暮らしを軸にした再開発」をテーマに進めてきたことは間違っていなかったのではないかと思っている。

・ハード事業からソフトの積極展開へ
19年度で再開発事業は一段落した。本当はまだ継続させていきたい面もあるが、手法、財政含めてさらなる展開は難しい面が多い。3つの事業ができたのは、奇跡に近いかもしれない。
今は、古くから盛んだった「人形」等の文化や、「NPO法人IIDA WAVE」による様々な活動(ミュージック、シネマ、ランナーズ、ウォーキング、やさい、サイクリング)展開、丘の上フェスティバル開催など、年間を通じて展開している。
(株)まちづくりカンパニーは6名のプロパーによって運営され、市からの出向などは一切ない。
今は国からの補助金を獲得するにも役所だと面倒なことが多いので、むしろ民間ベースの方が動きやすい。国は個々の事業者の支援ではなく、まちづくりに対して金を出す。当初1,000万円だった資本金は現在2億1,000万円。TMO構想を確立したので、国が認めたまちづくりとして進めることができている。

最後に私はこんな質問をしました。
Q.新しいやりかたに対して、賛成ばかりではないのではないか。新の人と旧の人、世代間の違い、やる気のある人とそうでない人等がある中で、新しい発想が生かされる仕組みがどうつくられているのか?

A.「りんご並木まちづくりネットワーク」というテーブルがあり、そこは「やりたい」という声をつぶす仕組みがない。輪っかになっているだけで、ありがちなピラミッドが一切ない。「やりたい」というところを、どうやって応援するか、という発想で動く。ただし、個人的な利益という話なら受け入れない。
役所における「よくできた」とは、「手続き」や「計画」がよくできた、ということを指すが、民間で鍛えられた人たちが中心になっている「まちカン」では、「人、もの、金」が基準でことが進む。
とはいえ、「まちカン」に批判的な声は庁内に少なくない。「まちカン」への随意契約等の優遇は決して許されないので、誰もが納得する透明性のあるルールを整備して進めている。

うまくまとめられませんが、やっぱりな…と今回も強く感じたことがあります。

それは、担当者の心意気、熱い思いです。

東村山市にもさまざまな分野で各地から視察に来られることがあると聞いていますが、担当者は自らが担当する事業を熱く語っているのだろうか?苦労話を単なる苦労話とせずに笑顔で語っているのだろうか?
そんなことを思いながら、遠山さんのお話を伺っていました。

それから、IIDA WAVEの存在。すごくおもしろいと思います。


長くなったので、翌朝飯田から長い距離をひた走ってお邪魔した静岡市の話は、別の記事にしたいと思います。

尚、11月3日には「飯田 丘のまちフェスティバル2011」というイベントが開かれます。
説明してくださる遠山さんが、それは楽しそうにおっしゃっていましたので、きっとユニークで楽しいイベントなのでしょう。
いつか秋の日、伺えたらと思っています。
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飯田市には、中心市街地活性化事業等を推進する「(株)飯田まちづくりカンパニー」という組織があり、様々ユニークな展開が図られていると聞いていました。
中小企業庁「がんばる商店街77選」にも選ばれています。
※絵になるところがたくさんあったのに、カメラをバスの中に置いて下りてしまって写真がありません…失敗。

待ち合わせ場所の「エコハウス」で待っていてくださったのは、飯田市 商業・市街地活性課という課の遠山課長補佐さんでした。

まちづくりカンパニー設立までの背景、歴史的経過などはリンク先をご覧いただく通りの説明ですが、江戸時代からの街並みや知恵をベースに、市街地整備についての全体の理念、構想を丁寧につくりあげてきたことがよくよく伝わってきました。
対象地域は1,500haと言いますから、東村山駅の西口再開発(当初6haだったものが結局1.04ha)や久米川駅周辺整備とは桁が違うわけですが。全体を貫くイメージが十分に検討されているので、面的な整備が進んできたのだと思います。

そして、連携です。

再開発事業は東村山駅西口同様の組合施行方式なのですが、公と民、そしてNPO組織等が実にうまくつながり、それぞれの得手とする部分を活かしながら事業展開を図っていることがわかりました。

説明いただいた後に各委員が伺った主な質問とそれへの回答も含め、印象に残ったことをいくつか記しておきたいと思います。

・市街地内に整備された「りんご並木」の持つ意味
繰り返された大火から、防火帯として道路幅を広く取る整備がすすめられた。最も広い幅員30mの道路は当初4車線道路だったが、昭和28年に分離帯に中学生の発想で林檎の木が植えられ、中学生たちの手によって管理活動が現在まで続いている。その後、木が大きく育ち枝を広げたため、道路を2車線とし、さらに歩行者にやさしい道として再整備をしてきた。
道の豊かさとは、幅員部分だけではなく沿道の豊かさも大事なので、少しずつ整備を進めてきた。「自分たちの手で美しい街をつくる」という思いが長い間かけて受け継がれ、飯田のまちづくりの原点となっており、りんご並木が再生の起爆剤となっている。

・戸建が当たり前の地域の再開発にマンションを整備した意味
超高齢化を見越して、「街中で暮らすことの豊かさを提案したい」と3段階で整備した再開発事業の中に、中層のマンションを併設してきた。
しかし当初、飯田では分譲マンションは無理、と誰もが考えており、大手業者も全く乗ってこなかった。それなら自分たちで、と地元の5人の市民が発起人、出資者となり、(株)まちづくりカンパニーを設立した。
平成13年の第1次では、東京や名古屋等に住む飯田市出身者に売り込みをかけたところ、42戸が即完売。1階には地元スーパー、2階と3階には生活に必要な行政施設を整備し、4階以上に住居という形にした。
すると第2地区(29戸)、第3地区(13戸)では、地元在住者、20代や30代の若い層からも反応があり、いずれも即日完売となった。
「身の丈に合った再開発」「暮らしを軸にした再開発」をテーマに進めてきたことは間違っていなかったのではないかと思っている。

・ハード事業からソフトの積極展開へ
19年度で再開発事業は一段落した。本当はまだ継続させていきたい面もあるが、手法、財政含めてさらなる展開は難しい面が多い。3つの事業ができたのは、奇跡に近いかもしれない。
今は、古くから盛んだった「人形」等の文化や、「NPO法人IIDA WAVE」による様々な活動(ミュージック、シネマ、ランナーズ、ウォーキング、やさい、サイクリング)展開、丘の上フェスティバル開催など、年間を通じて展開している。
(株)まちづくりカンパニーは6名のプロパーによって運営され、市からの出向などは一切ない。
今は国からの補助金を獲得するにも役所だと面倒なことが多いので、むしろ民間ベースの方が動きやすい。国は個々の事業者の支援ではなく、まちづくりに対して金を出す。当初1,000万円だった資本金は現在2億1,000万円。TMO構想を確立したので、国が認めたまちづくりとして進めることができている。

最後に私はこんな質問をしました。
Q.新しいやりかたに対して、賛成ばかりではないのではないか。新の人と旧の人、世代間の違い、やる気のある人とそうでない人等がある中で、新しい発想が生かされる仕組みがどうつくられているのか?

A.「りんご並木まちづくりネットワーク」というテーブルがあり、そこは「やりたい」という声をつぶす仕組みがない。輪っかになっているだけで、ありがちなピラミッドが一切ない。「やりたい」というところを、どうやって応援するか、という発想で動く。ただし、個人的な利益という話なら受け入れない。
役所における「よくできた」とは、「手続き」や「計画」がよくできた、ということを指すが、民間で鍛えられた人たちが中心になっている「まちカン」では、「人、もの、金」が基準でことが進む。
とはいえ、「まちカン」に批判的な声は庁内に少なくない。「まちカン」への随意契約等の優遇は決して許されないので、誰もが納得する透明性のあるルールを整備して進めている。

うまくまとめられませんが、やっぱりな…と今回も強く感じたことがあります。

それは、担当者の心意気、熱い思いです。

東村山市にもさまざまな分野で各地から視察に来られることがあると聞いていますが、担当者は自らが担当する事業を熱く語っているのだろうか?苦労話を単なる苦労話とせずに笑顔で語っているのだろうか?
そんなことを思いながら、遠山さんのお話を伺っていました。

それから、IIDA WAVEの存在。すごくおもしろいと思います。


長くなったので、翌朝飯田から長い距離をひた走ってお邪魔した静岡市の話は、別の記事にしたいと思います。

尚、11月3日には「飯田 丘のまちフェスティバル2011」というイベントが開かれます。
説明してくださる遠山さんが、それは楽しそうにおっしゃっていましたので、きっとユニークで楽しいイベントなのでしょう。
いつか秋の日、伺えたらと思っています。
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【2011/10/22 16:42】 | まちづくり・都市計画・防災
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