無所属の東村山市議会議員・佐藤まさたかです。市議としての活動、考え、こぼれ話、余談、雑感…。実感ある発信を続けていきたいと思っています。
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日野市議の菅原直志さんから声をかけていただき、菅原さん&同じく日野市議の古池はつみさんとともに、急きょ10日(金)の昼に発って12日(日)未明帰りで訪ねた気仙沼。
かなりの強行軍でしたが、思い切って行ってよかったと思っています。
ちょっと遅くなりましたが、写真を中心にアップし、記録しておこうと思います。

帰りに立ち寄った復興屋台村
復興屋台村


鹿折地区に打ち上げられたままの大きな船
鹿折唐桑バス停前の船

気仙沼港からフェリーで大島へ
気仙沼~大島行フェリー

水没したままの桟橋も
水没したままの桟橋

魚市場は復旧していましたが、周辺は更地でした
魚市場

カモメがお出迎え


「11か月はあっという間だった」と大島復興チーム「おばか隊」隊長の村上広志さんとともに、震災発生時から今日までの想像を絶するお話を詳細にしてくださった菅原博信気仙沼市議。ありがとうございました。

菅原気仙沼市議からお話を伺う
「国が巨額を投じて島の周囲に高さ11.7mの防波堤を巡らすと言ってきたが、絶対に造らせない。防波堤で沖が見えず、波がそれを超える高さだった時はに、また同じことが起きるから。そんな金の使い方をするより、停電になっても点灯し続ける太陽光発電による誘導街路灯や、高台への避難路を整備して、各自の判断で命を守れるようにすることの方がよほど大切だ。これは津波に限ったことではない」とおっしゃっていました。

標高235mの亀山へ上がると、気仙沼湾から太平洋の大海原、唐桑半島まで360度の大パノラマが広がりました。
見渡せる沿岸部の平地は、例外なく波にのまれ更地になっていることがよくわかり、言葉を失いました。
亀山山頂から見た大島の市街地
亀山山頂から見た唐桑半島 小鯖港

気仙沼湾が文字通り火の海と化した光景を私たちはテレビで観ましたが、炎は海面からゆっくり駆け上がり、亀山の山頂をなめるように飲み込み、麓の街場へ迫ったのだそうです。多くの男性や若い人が本土から戻れない中、残された人たちで不眠不休で延焼を食い止めたのだそうです。どんなにか恐ろしかったことでしょう。
海に広がった火は亀山(235m)を駆け上がり市街地へ向かった
風光明媚な龍舞崎
亀山山頂から見た気仙沼湾

津波で壊滅的な被害を受けた海岸部。
破壊され流されたものは、なんと24品目に分類され、積まれていました。
トラクター、フォークリフト等
自動車
家電も品目ごとに
うず高く積まれた木類
缶もガラスも生きビンもきっちりと分別
後処理がスムーズにいくようにと、島の方たちとボランティアの方たちが気の遠くなるような作業を重ねられたのだそうで、こんなところは他にないだろうとのこと。
まさに全て生活の証であって、「がれき」と私たちが一言で言ってしまっていることが本当に申し訳なく感じました。

この日は震災からちょうど11か月ということもあったようですが、約100名の方が全国からボランティアとして来られていて、3月11日に予定している鎮魂の花火の会場となる小田浜をみんなで清掃しました。
3.11鎮魂の花火に向けて砂浜清掃
菅原日野市議と古池日野市議
全国砂浜10選の第2位「小田乃浜」
高さ20mはあろう沖の大岩を津波が超えてきたそうです

14時46分。作業の手を止め、猛烈な北風が吹きつける中、沖に向かって全員で黙祷を捧げました。
14時46分にボタンティア約100名で黙祷

その後、私たちは日野の社会福祉協議会を通じて菅原直志日野市議が預かってきた新品の一輪車12台を、大島小学校へ届け、教頭先生にお渡しをしました。
大島小学校に一輪車12台を届けました

大島小学校の体育館では、翌日に控えたイベントの準備が進んでいました。
復興イベント
新潟柏崎の日本海太鼓と島の太鼓の競演

島のみなさんが一日も早く元の暮らしを取り戻せるよう、心から祈りつつ、17時半のフェリーで本土へ戻り、一路帰京しました。
帰りのフェリー


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鹿折地区に打ち上げられたままの大きな船
鹿折唐桑バス停前の船

気仙沼港からフェリーで大島へ
気仙沼~大島行フェリー

水没したままの桟橋も
水没したままの桟橋

魚市場は復旧していましたが、周辺は更地でした
魚市場

カモメがお出迎え


「11か月はあっという間だった」と大島復興チーム「おばか隊」隊長の村上広志さんとともに、震災発生時から今日までの想像を絶するお話を詳細にしてくださった菅原博信気仙沼市議。ありがとうございました。

菅原気仙沼市議からお話を伺う
「国が巨額を投じて島の周囲に高さ11.7mの防波堤を巡らすと言ってきたが、絶対に造らせない。防波堤で沖が見えず、波がそれを超える高さだった時はに、また同じことが起きるから。そんな金の使い方をするより、停電になっても点灯し続ける太陽光発電による誘導街路灯や、高台への避難路を整備して、各自の判断で命を守れるようにすることの方がよほど大切だ。これは津波に限ったことではない」とおっしゃっていました。

標高235mの亀山へ上がると、気仙沼湾から太平洋の大海原、唐桑半島まで360度の大パノラマが広がりました。
見渡せる沿岸部の平地は、例外なく波にのまれ更地になっていることがよくわかり、言葉を失いました。
亀山山頂から見た大島の市街地
亀山山頂から見た唐桑半島 小鯖港

気仙沼湾が文字通り火の海と化した光景を私たちはテレビで観ましたが、炎は海面からゆっくり駆け上がり、亀山の山頂をなめるように飲み込み、麓の街場へ迫ったのだそうです。多くの男性や若い人が本土から戻れない中、残された人たちで不眠不休で延焼を食い止めたのだそうです。どんなにか恐ろしかったことでしょう。
海に広がった火は亀山(235m)を駆け上がり市街地へ向かった
風光明媚な龍舞崎
亀山山頂から見た気仙沼湾

津波で壊滅的な被害を受けた海岸部。
破壊され流されたものは、なんと24品目に分類され、積まれていました。
トラクター、フォークリフト等
自動車
家電も品目ごとに
うず高く積まれた木類
缶もガラスも生きビンもきっちりと分別
後処理がスムーズにいくようにと、島の方たちとボランティアの方たちが気の遠くなるような作業を重ねられたのだそうで、こんなところは他にないだろうとのこと。
まさに全て生活の証であって、「がれき」と私たちが一言で言ってしまっていることが本当に申し訳なく感じました。

この日は震災からちょうど11か月ということもあったようですが、約100名の方が全国からボランティアとして来られていて、3月11日に予定している鎮魂の花火の会場となる小田浜をみんなで清掃しました。
3.11鎮魂の花火に向けて砂浜清掃
菅原日野市議と古池日野市議
全国砂浜10選の第2位「小田乃浜」
高さ20mはあろう沖の大岩を津波が超えてきたそうです

14時46分。作業の手を止め、猛烈な北風が吹きつける中、沖に向かって全員で黙祷を捧げました。
14時46分にボタンティア約100名で黙祷

その後、私たちは日野の社会福祉協議会を通じて菅原直志日野市議が預かってきた新品の一輪車12台を、大島小学校へ届け、教頭先生にお渡しをしました。
大島小学校に一輪車12台を届けました

大島小学校の体育館では、翌日に控えたイベントの準備が進んでいました。
復興イベント
新潟柏崎の日本海太鼓と島の太鼓の競演

島のみなさんが一日も早く元の暮らしを取り戻せるよう、心から祈りつつ、17時半のフェリーで本土へ戻り、一路帰京しました。
帰りのフェリー


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【2012/02/21 18:16】 | 原発・震災
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